ちゃぶ台のトースト ~Akamaru Bakery Official Blog~

東京の雑司ヶ谷という小さな町の小さなパン屋「赤丸ベーカリー」のブログです。日常生活そのもののパン「ちゃぶ台のトースト」をモットーに、日々パンづくりに励んでいます。

2009年08月

29

選挙で占拠

 2009年8月29日。午後7時。

 副都心池袋の上空を旋回する無数のヘリコプター。

 何者かが、池袋を占拠しているのだ。

 「ともだち」か?

 いやいや、それは本日公開の映画「20世紀少年」の話。

 それにしても、20世紀少年の主人公たちとは1つしか年齢が違わないため、同一体験も多く、非常に感情移入しやすい。

 豊川悦司が演じる「オッチョ」が、第2部の中で、「いのしし年」だと言っていたので、私の一つ先輩という設定なのだ。

 話が、脱線してしまった。

 かつて青江三奈が唄った「池袋の夜」を「占拠」していたのは、「選挙」だったのだ!

 東口に某与党の某総理。

 西口に某野党の某次期総理(個人的な推測)。
 
 いよいよ国民が自覚と責任をもって、自分たちによる自分たちのための政権を選択できる時代が来たのだ。

 しかし、かの坂本竜馬は、乱舞するヘリのさらに上から下界のぞいて笑っていることだろう。

 「待ちくたびれたぜよっ!」

20

この道はいつか来た道

 第一生命のTVCMをご覧になりましたか?

 花嫁とともにヴァージンロードをゆっくりと歩む父。
 画面は、まだ幼かった娘と、若かった父親とが手をつないで夕日の道を歩く想い出の風景に変わります。

 ひとことだけ「お父さん、ありがとう」とささやく花嫁。

 娘を持たない私でさえ、グッと胸に迫るものがあります。

 そして、手嶌葵さんが唄う童謡「この道」が、そのすべての情感を見事に表現しているのです。

  この道はいつか来た道
  ああ そうだよ
  あかしやの花が咲いてる

  あの丘はいつか見た丘
  ああ そうだよ
  ほら 白い時計台だよ

  この道はいつか来た道
  ああ そうだよ
  お母さまと馬車で行ったよ
  
  あの雲もいつか見た雲
  ああ そうだよ
  山査子(さんざし)の枝も垂れてる

 単なるCMというより、素晴らしい映像作品と呼ぶに相応しいでしょう。

 「この道」という楽曲は、北原白秋(1885?1942)の詩に、山田耕筰(1886?1965)が曲をつけ、大正15年に「赤い鳥」に発表された日本を代表する童謡です。

 一般には、白秋が、鉄道省主催の「樺太観光団」に参加した帰りに札幌に立ち寄った際の「北一条通り」のイメージを詩にした、と考えられているようです。

 また、他にも故郷である福岡県柳川をはじめとして、多くの「候補地」があるようですが、私は、「この道」は、白秋だけの「道」ではないと考えます。

 日本初の管弦楽団をつくり、鈴木三重吉が主宰する「赤い鳥運動」にも参加するなど西洋音楽の普及に努める一方、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも認められた偉大なる作曲家・山田耕筰。

 しかし、その生い立ちは、決して幸福なものではありませんでした。

 「この道」より数年前に「赤い鳥」誌上に発表された「からたちの花」。同じく、白秋の詩を、耕筰が作曲した名曲です。(注:この時は詩のみが発表されたようです)

  からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ

  からたちのとげはいたいよ
  青い青い針のとげだよ
 
  からたちは畑の垣根よ
  いつもいつもとほる道だよ

  からたちも秋はみのるよ
  まろいまろい金のたまだよ

  からたちのそばで泣いたよ
  みんなみんなやさしかつたよ

  からたちの花が咲いたよ
  白い白い花が咲いたよ

 山田耕筰は、その少年期を、後の華々しい音楽活動とはかけ離れた過酷な労働苦学の中で過ごしました。

 幼くして父を亡くし、東京・巣鴨にあった「自営館」という夜学校を併設した印刷工場に住み込みで働くことになりました。寮の食事は非常に粗末で、腹の足しにするために、秋になると敷地を取り囲んでいた垣根のカラタチから実を取り、生野菜と一緒に食べたそうです。

 さらには、朝の7時から深夜12時まであらゆる雑用に追い回され、学校へ行く機会などなかなか与えられませんでした。

 また、乱暴な職工からいじめを受けることもありました。活字拾いで両手がふさがった職工からは、すぐに足が飛んできたそうです。

 そんな時、耕筰少年は垣根まで逃げて行き、人に見せたくない涙をカラタチの木の根元に注いだそうです。

 耕筰少年は、家を出る時に母から『病気以外は絶対に家へ帰ってはならない』と優しくも厳しく諭されていたので、ひたすら我慢し続けましたが、栄養不良と過酷な労働から大病を患い、13才の時にようやく母のもとへと帰れたそうです。

 その話を聞いた白秋は、深い同情を込めこの詩を書いたのです。

『9歳から13歳までの足掛け5年にわたる活版所生活は、いろいろな意味から私を錬磨してくれた、むしろ感謝していい時代だった。将来の夢は音楽者と定められたのも、9歳の自営館時代のことだった』

 山田耕筰は、後にこのように述懐しています。

『からたちの、白い花、青い棘、そしてあのまろい金の実、それは自営館生活における私のノスタルジアだ。そのノスタルジアが白秋によって、詩化され、あの歌となった』

  参考文献:山田耕筰著「自伝 若き日の狂詩曲」(中公文庫)


 幼き日に、母に手をひかれて向かった「自営館」への道。

 そして、その後に切り拓いた人生という「道」。

 白秋の耕筰に対する友情、同情、共感があればこそ、今もなお、人の心に響き続ける名曲として伝えられるのでしょう。

 現在、自営館のあった場所には巣鴨教会が建ち、「からたちの花」発祥の地の記念碑があります。(東京都豊島区南大塚1-13-8)


13

あぁ、夏休み

 3日間の夏休みが終わりました。
 ありがとうございました。

 初日は、妻とディズニーシーへ行きまして、童心に帰ってまいりました。
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 2日目は、妻が仕事でしたので一人で池袋を散歩。
 ついでに、滅多にしない腕時計の電池交換のため、某家電量販店の時計売り場へ。
 一応スイス製の腕時計なのですが、米国のショッピングモールのクリスマスセールで2万円くらいで買ったありきたりものです。

 しかし、特殊な工具が必要なので1週間預かるとのこと。しかも1,500円!

 もちろん、もう一軒の方に行ってみましたよ。
 そしたら、なんてことなく3分で完了!
 しかも、980円!!

 どちらが、「B」か「Y」かは、ここでは控えさせていただきます。

 しかし、今回ペケだった店の時計売り場の充実ぶりは、そのライバル店の比ではありません。大したものです。
 お互い一長一短、得て不得手があるということですね。ウチも同じです。

 さて、3日目の今日は、多少の朝寝坊はできましたが、ちゃんと仕事しましたよ。ラスクもしっかり焼いておきました。

 明日からのご来店、心からお待ちしています。

 おしまいに、宣伝です。
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 「南高梅」と「あんず」のジャム、好評発売中です。どちらも210g、1,050円です。

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4

夏季休業のお知らせ

勝手ながら、

8月11日(火)から13日(木)まで

3日間の夏休みをいただきます。

よろしくお願いたします。
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ジャム兄

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